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鈴懸の木の道で「あやちょ抱いて」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論に辿り着かない

あやちょ抱いて

タイトルはAKB48のやたら長い曲名にかけていますが長い曲名を未だに覚えることが出来ず、更にその曲を略したものすら覚えることが出来ないというおじいちゃん脳に落ち込んでいます。ところであやちょ抱いてがゲシュタルト崩壊してきています。とにもかくもあやちょさんの美しさ気高さを見てしまったらあやちょ抱いてと叫ばずにはいられなくなってからそこそこの月日が経ちました。時には抱かなくても良い気がする(良いわけが無い)みたいなときもありました。ってことでまぁ落ち着けやという気持ちを込めてとりあいずトゥギャッターであやちょ抱いてのまとめをしてみたのですがあやちょ抱いてがポピュラーな存在になってしまったらと頭を抱えています。あやちょ抱いての本来の意味が無くなってしまうのではないか。あやちょ抱いてを葛藤無く言えてしまう人が正直少し憎いです。こんなに声をしぼりだして発している横でイキイキとあやちょ抱いてと発している人がいて、同士だと思っているけどもさほど抱かれたいわけじゃないのならば。悔しい。殺ッタルチャン。ふざけたいだけのためで有れば更に憎い。正直に言います。あやちょ抱いてを遊びに使うのは違うだろう。そもそも使うってなんだよ。使うって。あやちょ抱いてっていうのは抑えきれない衝動なんだよ。使うって意識なんだよ。ネタじゃねぇよ。芸じゃねぇよ。真剣になれよ。平和にいきたいのにあやちょ抱いては平和を呼ばない。日に日にあやちょ抱いてにこめているものがドロドロになっていく。抱かれる前も後もくるしい。あやちょ抱いてを如何にして伝えやすく発せれるかと考えた結果、芸と受け取られるものになってしまったのは明らかに私の欲望の出し方がアホすぎました。もう少し文学的にあやちょ抱いてと発するべきでした。あやちょ抱いて。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて…ちげえ。ダメだこれダメだ。もうどうすればいいよ。使わない方が良いのではないかとしばらく黙ってみたもののあやちょが格好良すぎて美しくてあやちょ抱いてとやっぱり発さざるを得なかったので結局あやちょ抱いての呪縛から逃れられない。どうすればいいのだろう。どうすれば。本当に抱かれたいのだろうか。違う。いや、違わなくは。どっちだろうか。抱かれたい。けどもそれは違う。醜い自分をあやちょに抱いてもらおうなんてそんなことは有ってはならない。あやちょに抱かれたいがあやちょが抱くのは自分であってはならない。あやちょが汚れてしまう。そんなことは決してあってはならない。あやちょに抱かれない。抱かれることは考えてはならない。決して抱かれてはならない。しかし抱かれたい。結局あやちょ(花音ちゃんを)抱いてが一番しっくり来てしまう。そしてそのあやちょ(花音ちゃんを)抱いてはもはや現実の世界で叶っていることであってあやちょ抱いてはファンタジーではなく…ん?何を言っているのかもう分からなくなってきてますね。アレだなもう考えるの止めたいわマジで何してんだろ真面目に走っている意識だけど欽ちゃん走りにしか見えないみたいなことをやっているわけですが。あやちょ抱いてに足向けして寝れないのは私です。

 

何も定まっていませんね。とにかく今一番何を言いたいかというと、いつもあやちょ抱いてを「あいつしょうもないな」感覚で笑って見守ってくださりありがとうございますということと、あやちょ抱いてをバカにするやつはこの僕が相手になる(我らジャンヌ:ジャック)ということです。つまりは笑うこと=バカにしているとは思っておりません。これからも見守っていてくだされば嬉しいです。長々と失礼いたしました。